「春高バレー準優勝・鎮西の後輩たちへ」鎮西高等学校1994年卒業 朝日健太郎(参議院議員)
過去の記録を遡ってみると、鎮西高校が初めて春高の決勝に残ったのは1993年のこと。現在国会議員を務める朝日健太郎さんが鎮西高校の選手だった時代のことで、鎮西の栄光の歴史は朝日さんの活躍から始まったと言っても過言ではない。その後1995年に初優勝を果たし、今では誰もが認めるバレーボール強豪校へと成長していった。
今回の春高でも優勝候補の筆頭と目されていたが、あと一歩及ばず惜しくも準優勝。昨年に続き2セットを先取してからの惜敗だっただけに、選手たちには悔しさが残っていることだろう。そんな戦いを終えたばかりの後輩たちへ、先輩・朝日健太郎さんからのメッセージをお届けします。
優勝は逃したけれど、多くの人に感動を与えた鎮西の後輩たちを誇りに思います
私がバレーボールを始めたのは中学1年のとき。何かインドアスポーツをやろうと決めていただけのスタートでしたので、今の選手たちとは違って、春高優勝などといった大きな目標があったわけではありませんでした。進学も最初から鎮西を希望していたというわけではなく、熊本県選抜に選ばれて出場した全中(全国中学校バレー大会)で少し活躍したことが関係者の目に止まり、鎮西からスカウトが来たことがきっかけでした。
最初は勉強して大学を目指したかったので丁重にお断りしたのですが、監督さん(現監督の畑野久雄氏)からいろいろお話を伺ったり、全中での仲間たちからも「一緒にやろう!」という誘いがあって、徐々に気持ちが変わっていったんです。勉強だけを頑張って上に行くのもいいけど、バレーで活躍してからでも遅くないのではと考え直したんです。ですから全国レベルの鎮西に入って、最初はかなりきつかったですよ。当時、休みは年に2、3日だったですから。
私の代では、高校2年のときに春高で2位が最高。決勝で神奈川の釜利谷に敗れましたが、勢いで勝ち取った2位だったような気がします。高校時代を振り返ると、忙しすぎる3年間だったと思います。でも人生で一番元気だった時期かもしれません。
昨年、今年と2年続けて2位だった鎮西高校。もちろん悔しさも後悔もたくさんあると思います。でも、すごい結果を残したことを実感する日がきっと来ます。大勢の方々が鎮西バレーに感動したと言ってくださっているのですから。
私自身、今大会の決勝は会場で応援させていただきましたが、2年生と1年生はまた来年春高で戦えます。今の3年生が果たせなかった夢を必ず手に入れてください。私も果たせなかった優勝を次世代の後輩たちに託します。多くの先輩たちの期待を受け止め、胸を張ってバレーを楽しんで欲しいと思います。優勝のために何が必要かを一番わかっているのはあなたたちだと思います。たくさんの人たちが応援していることを忘れず、明るい未来に向けて頑張ってください。
準優勝おめでとう!!
コロナ禍でもこんなに大勢の応援団が熊本から応援に来てくださったことのありがたさ。いつかきっと身に染みるときが来ると思う……
政治家へと変身を遂げた朝日健太郎さんは、現役時代と変わらぬスタイル。その秘訣をぜひ伝授してほしい!!
PROFILE
生年月日 1975年9月19日
出身地 熊本県
血液型 A
身長 199cm
取材・文:VOLLEYBALL HEROES編集部
協力:参議院議員朝日健太郎事務所
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